中日スポーツの記事
千昇の十両昇進が決定した翌日のスポーツ紙。
私自身は、4紙購入したが、中日スポーツはなかった。
しかし、後でネットを確認すると素晴らしい記事が書かれていた。
スポーツ紙の記者にここまで書かれている千昇に関心すると共に、彼のひたむきさに注目するマスコミがいるという証明だろう。
親方がそうであったように、これからそんなファンや応援者を少しずつ拡大してほしい。
これから中日スポーツのこの記者の記事を注目していきたい。
入門から11年。外国出身力士としては最も遅い所要65場所での昇進に、千昇は「長いような短いような…。
まわりがどんどん昇進して、いつか関取にならなきゃって…。悔しい思いはあったけど、師匠の喜ぶ顔が見たかった」と、
定年まで1年となった師匠への感謝を口にした。叔父がモンゴル相撲の横綱。そのつてをたどり角界入りするため2000年10月に6人のモンゴル人とともに来日した。
大阪の摂津倉庫で入門の誘いを待っていたのは横綱白鵬、引退した猛虎浪ら計7人。
この中で、最初に角界入りが決まったのが千昇で、帰国直前にスカウトされたのが白鵬だった。そのときは帰国しようとしていた白鵬に両親への手紙を託したというが、その白鵬も角界入りし今や大横綱。
「横綱と対戦したい」と、同期生ながら1度も対戦したことのない横綱への挑戦に胸を膨らませた。右膝前十字じん帯断裂などのけがもあり、白鵬とは差がついたが、それだけ味わい深い人間にもなった。
好きな言葉は江戸時代の米沢藩主上杉鷹山の「なせば成る、なさねば成らぬ何事も…です」と流ちょうな日本語で語った。
しゃべりだけではなく、漢字も「携帯電話で変換して読みを覚えた」。
新聞や本を読むのに支障が全くない日本語力を身に付けた。しこ名には師匠の思いが込められている。師匠は現役時代に通算964勝を挙げた。
1000勝まであと一歩、40歳で引退した。
「964勝しかできていない。それを超えるように、千昇とつけた。番付も、全部超えてほしい」。
千昇は初場所までで237勝。
1000勝を超えるのは難しいだろうが、横綱・白鵬からの1勝がこれからの目標になる。 (岸本隆)